
ネタバレしていますので注意してください。
🤔タイトル、正体とはなんだったのか?
『鏑木はええ奴』、『可哀そうな奴』、『鏑木は頭が良くて優しい奴』、『脱獄犯』、『勇気のある奴』、『料理が出来る奴』、色々と想像はできます。では、鏑木の正体とはなんですか?と聞かれると、なんなんでしょうか、、、、っと。
各章で鏑木の意外な一面が浮き彫りになっていく。正体を読んだ(聴いた)人の数だけ、鏑木のイメージはあると思うが、結局それは鏑木の正体なのか?と考えるとわからない。
鏑木の断片的な情報を集めて、それをパズルのピースのように組み合わせ鏑木の人物像を作り出しても、それは所詮他人が勝手に作り上げた人物なのではないだろうか。
確かに、鏑木慶一は罪を犯していない人間。他人が犯した罪に巻き込まれた人間。それは間違いないのだが、その正体はやはり誰にも分からないのではないだろうか。
これは物語とは関係のない、実社会でもそうだ。人は他人の一面しかみようとしない、自分にとって都合の悪い面はみない。きっと本人ですら、自分が何者かなんてわからないのではないだろうか。
そういった視点、前提に立つと、正体なんてものは誰にも分からないとなってしまう。
✍️作品概要と著者紹介
2022年に発売されたこの作品、19歳で死刑判決を受けた少年犯罪者の逃亡劇、そしてそこで出会う人達との複雑な人間模様を描いたものです。ただの逃亡劇のハラハラ、ドキドキするものとは一線を画す、多くの人が持つ偏見、思い込み、無関心、正義、そんなメッセージ性も込められてるようにも感じました。
488日間にも及ぶ逃亡の末、犯罪者の正体は一体なんだったのか?偏見と思い込みによって隠されたベールが剥がれ、本当の彼が現れてきます。
著者の染井為人氏は、約13年間の芸能界で働いていた経緯があり、タレントマネージャー、部隊演劇、ミュージカルプロデューサーなど、様々な仕事を経験してきたようです。
そして2017年、34歳のときに『悪い夏』で横溝正史ミステリ大賞優秀賞を受賞し、作家デビューするという異色の経歴を持っています。
社会性のある題材を使った物語が多くあり、この社会に潜む矛盾、欺瞞、不平等、そういった社会問題を作品に反映させているように感じています。
🎗️登場人物紹介
主要登場人物
鏑木慶一(かぶらぎ けいいち):主人公。一家三人殺害事件で死刑判決を受けた少年死刑囚。脱獄後、日本各地を転々としながら逃亡を続ける。
井尾由子(いお よしこ):元高校教師。若年性アルツハイマーを発症し退職。息子夫婦と孫を殺害された被害者の母親。
鏑木が出会う人々
野々村和也:建設現場で鏑木と出会う日雇い労働者。
安藤沙耶香:WEBメディアの社員。フリーライターとして働く鏑木を助ける。
渡辺淳二:痴漢冤罪で弁護士の職を追われた人物。
近野節枝:山形のパン工場で働くパート主婦。
酒井舞:グループホーム「アオバ」の若い介護士。
これらの人物たちが、小説の中で鏑木の逃亡生活に関わっていきます。小説版では、鏑木が各地で出会う人々との交流を通じて、彼の「正体」や真の目的が徐々に明らかになっていく構成となっています
📖あらすじ
一家三人殺害事件の犯人として逮捕、そして死刑判決を受けた19歳の少年、鏑木慶一の488日間の逃亡劇。日本各地を転々とする中で、鏑木は様々な人達と出会います。
建設現場で働く日雇い労働者の野々村和也、WEBメディア社員の安藤沙耶香、痴漢冤罪で弁護士の職を失った渡辺淳二、山形のパン工場で働く近野節枝、そして介護施設で働く若い酒井舞。警察の目をかいくぐり人々との交流を通じて、鏑木の真の『目的』と『正体』が徐々に明らかになっていきます。
そしてこの物語のカギを握る事件の被害者、そして遺族でもある井尾由子が重要な役割を担っています。彼女は若年性アルツハイマーを患い、息子夫婦と孫を失った強い悲しみと喪失感に苛まれています。
鏑木が逃亡する中で出会う人達と人生が交わる。その中で徐々に彼の背景とその正体が浮かび上がってくる。緊迫感溢れる描写と鏑木の正体にあなたは何を感じるだろうか。
🗣️読者のコメント
「この小説はとても面白かった。無我夢中でむさぼり食うように読みました。傑作です」
「ハラハラドキドキの展開でスピード感も申し分なし。犯人の「正体」が知りたくて一気読み、そしてラストは涙なしには読めない」
「読んでる途中で混乱しました。逃亡の目的や彼の本性、その「正体」とは???かなりボリュームのある一冊ですが、先が気になって気になって」
「鏑木の行動を通じて、彼の本当の「正体」とは何か、そして彼が本当に罪を犯したのかどうかを考えさせられます」
こういったコメントをみました。私の感想は偏見と思い込みの怖さです。鏑木は完全に被害者です。彼は善意で被害者を助けようとした。にも関わらず、偏見や思い込みで犯人に仕立て上げられ、絶望の淵に叩き落とされてしまう。
こういった冤罪事件は、日本の司法制度では何度も繰り返し起きています。
袴田事件:1966年事件発生、死刑判決。約48年ぶりに釈放。2024年10月9日無罪判決確定。
免田事件:1948年事件発生、死刑判決。1983年、最新無罪判決が確定。
足利事件:1990年事件発生、無期懲役の判決。2010年に再審無罪判決確定。
東住吉事件:1995年事件発生、無期懲役の判決。2016年に再審無罪判決確定。
大川原化工機事件:2009年に事件発生、11か月間身体拘束。2011年3月無罪確定
世間の注目を集めた冤罪事件はネットで調べると、その詳細を知ることができます。しかしこれは氷山の一角で、多くの冤罪事件が今も発生しているかもしれません。
私は『正体』を読んで、メディアスクラムと社会の偏見、そして司法制度の欠陥により発生する冤罪の仕組みに怖さを覚えました。
フィクションとは言え、一瞬で自分の人生が抹殺されると思うと、鏑木の事を他人事と思えません。
🔆印象に残ったシーン
安藤沙耶香と鏑木の出会い。紗耶香は8年の不倫に終止符を打つことが出来た半年後くらいに、鏑木と出会っています。当初は当然、あの死刑囚の鏑木とは思わずに彼を部屋に招き入れそして同居を提案します。
彼との生活は、彼女に精神的な安らぎと幸福をもたらしてくれます。鏑木は彼女の人生で足りない何かを与えてくれたのです。
男と女が一つ屋根の下に暮らしても、身体の関係を持たず若い男と暮らす35歳の女。彼女は不思議な魅力を持つ彼に強く惹かれていく。
しかし、警察の手が彼女の部屋にまで届く。鏑木がベランダから逃げるあの一瞬、紗耶香と視線が交錯し強く結びつく、あの一瞬の描写が素晴らしい。紗耶香と鏑木が過ごした日々は、私の頭の中で鮮明にその映像が映し出されました。
刑事の異常な執念と怨念、紗耶香の心理描写、鏑木との安らぎの日々が入り混じった印象に残っているシーンです。
🟢読者に問いかける真実の在り方
『正体』は、単なる逃亡劇を超えて、「真実とは何か」「正義とは何か」という深い問いを読者に投げかけています。鏑木の行動を通じて、私達は「罪」と「罰」の関係性、そして社会が個人を裁く時の在り方について否応なく考えさせられます。
凶暴化した正義が牙を剥いたとき、鏑木のような強い信念を貫くことが出来るだろうか。戦えるだろうか。
ぜひ、あなたもこの物語を読んでみて、考えてみて欲しい。