ネタバレしていますので注意してください。
🚨批判的な意見を書いてみようか
私は正欲を聴いて、今聴くタイミングではなかった、そう思ってしまった。その理由を書き出してみよう。
単なるエンターテイメント作品ですよ、と言うなら私の答えも、『あまり楽しめなかった』と答えられけど、何かメッセージ性を含んだ作品なら、何を伝えたかったのか分からなかった、と答えます。
確かに物語の中心には、何かしらの”欲”があるのは分かりました。ではその欲とは何なのか?ってことです。
ちょっとその前に、登場人物をおさらいしておきます。
寺井啓喜(てらいひろき)
横浜地検の検事。不登校の息子を抱え、家族との溝に悩む。
桐生夏月(きりゅうなつき)
寝具店で働く契約社員。周囲に隠した水フェチを抱える。
神戸八重子(かんべやえこ)
男性恐怖症の大学生。学祭で多様性を掲げたイベントを企画する。
佐々木佳道(ささきよしみち)
大手食品メーカーの商品開発課に勤務。水フェチ。
諸橋大也(もろはしだいや)
金沢八景大学三年。ダンスサークル「スペード」に所属。水フェチ。
まず欲の言葉の意味を改めて調べてみると、『満たされることを求める心』、『ほしく思う』こういった意味があります。
次に、正の意味です。これは『ただしい、間違いない』、『ただす』こういった意味があります。
つまり正欲とは、直訳すると正しく満たされることを求める心、もしくは間違いなくほしく思うこと、こういった意味になります。
イマイチ理解できない。
例えば、物語中で寺井啓喜が不登校になった息子に対して、学校に戻って欲しい。普通と呼ばれるルートに戻って欲しい、それが啓喜の正しく満たされることを求める心だった。
神戸八重子に男性恐怖症の一面がある。しかし、彼女はこの一面を克服したいと思い、その突破口として男性なのに恐怖を感じない、諸橋大也に一方的に自分のエゴを押し付け乗り越えようと提案する。
これも八重子にとっての、正しく満たされることを求める心。
水フェチ三人も特殊な性癖を満たすことが出来なかった。それを満たすために考え行動を起こした。これも三人にとって、正しく満たされることを求める心。
つまり、誰かが間違っているとか、異常だとか、そういったことではなく、誰の中にでもある正しさを振りかざして生きているのだと伝えたいのでしょうか。
それはLGBTQ+も然り、男性、女性も当然含めて。
✅人間はみな孤独であるという視点
私がこの物語で物足りなさを感じたのは、哲学的な思想を持っていたからかもしれません。
歴史的な哲学者、そして宗教でも似たような教えが説かれています。それは『人はみな孤独である』と。だからこそ繋がりや共感を求めて生きようとするのですが、やはり心の奥底、その淵の淵までは覗き込むことができない。
理解が出来ない。
だからまだ孤独が深まっていく。その視点を持っていれば、他人の奇々怪々な行動もその表面くらいはなぞることが出来る。
どうせ、他人を100%理解することはできないのである、と。多様性、ルッキズム、個性、その言葉が一人歩きして何となく使っているようにも思える。
もしこの正欲の物語で伝えたかったものがあるとしたら、そういった各自が胸の中に抱えている正しさと、それを求める心で、そういったものは万人に受け入れられるものではない。
必ず異常だと指差す側がいる。そういった人とは分かり合えない、それでも頑張って生きていこうぜ!ってことだろうと考えました。
👀正しさの難しさ
この正欲がイマイチ理解できなかった理由に、各登場人物が何を伝えたいのかよく分からなかった、ということです。水フェチがマイノリティなのかは別として、それがどうした?とツッコミを入れたくなったのが正直な感想です。
それを第三者に理解して欲しいとどこかで思っているから悩むわけで、最初から理解なんてされない、分からない、そう思っていたら悩むなんてレベルにはいないのでは!?とも思った。
あと男性恐怖症の八重子が大也に、想いのを丈ををぶちまけて、今日が転換期にしていこう!みたいな提案をしているけど、あれも正欲だとは思います。でも八重子の場合はかなり面倒で鬱陶しい。
たぶん大也に魅力を感じて執着してるから、面倒になってきているのだと感じた。
それに招待もされていない人の玄関先まできて、ブチ切れるのはちょっとあり得ないと思った。ただこれも私の正欲、当たり前で他人にとっては非常識なんだろうと。
ただそんな事言ってたら、ものすごく面倒で生き難い世の中になってしまうよな、とも思ったし、もう既にそんな世の中だよなとも同時に思った。
⌛謎のカウントダウン
あの日付カウントダウンの役割は?と思ってしまいました。私はオーディブルで正欲を聴いていたのですが、ストーリー的に何か特別に変化があったのだろうか!?と思ってしまった。
通常カウントダウンって、その後に大きなイベントが待ってたりするものですが、この物語では一体何があったのか分かり難い。
あとになって考えてみたら、各登場人物達が新しい行動パターンを取ったり、新しい価値観を取り入れたりしていたのかもしれません。(詳しくは確認しませんでした)
とにかくストーリーに抑揚を感じられなくて、気がついたら2019年5月1日が過ぎてた、そんな感じでした。
🧐謎の結末を考察
正欲の結末がある意味劇的で、『何だったんだ!』と思ってしまった。八重子が誰かと話をしている、その相手に意識が向いて、諸橋大也の水フェチを知るチャンスを逸した。
そこで、終わり。
『オーディブル・・・・』の音声が流れて、私は何秒か硬直状態になってしまった。
きっと、八重子は大也の本当の姿を知ることは永遠にないでしょうね。せっかくのタイミングを逃したばかりが、大也をただの小児性愛者だと偏見を持ち続けることでしょう。
八重子は彼を理解したいと言ったけど、小児性愛者であることまでは受け入れられないだろうね。なぜなら彼と一緒にいれば、彼女の社会的価値まで下がってしまうから。
そう考えると、彼女と大也は2度と会うことはないと考えます。大也の部屋まで勝手に押しかけて、自分のエゴぶつけていた八重子の正欲も目が覚めたでしょう。
『私たちはマイノリティ、異端、同志』そういった考え方も、所詮社会的常識の中で正しさをコロコロ変えて生きているだけなんだと。
ところで私が知っている小説は、小さなパズルのピースが集まって一つの流れになってラストで大きな絵になる、そんなイメージを持っています。
ただこの正欲の物語全体を俯瞰してみたとき、ピースがバラバラになってて、ずっとバラバラでそれで最後までバラバラだった、そんな感想をもってしまった。
たぶん私がまだ聴くタイミングではなかったのだと考えています。