ネタバレしていますので注意してください。
✏️ミステリー作品だと思ってました。
私はこの物語をミステリーだと思って読み始めたのですが、結論からいうと、全然違いました。悪い意味でかなり裏切られた感じです。
婚約までした女性が夜の中を走っている、休まず全力で・・・。そこから物語が始まります。プロローグからサスペンス要素たっぷりで始まる物語。
しかし第一章が始まり、物語が進むにつれて何か違う感じがしてきた。人間の内面を繊細かつ臨場感たっぷりに描写されているので、集中してナレーターの声に耳を傾け聴き続けるのですが・・・。
でも、途中から『あれ!?』なんか思っていたのと違う、みたいな感じになってきました。サスペンスで読み始めて、途中から恋愛小説なのか!?と思考を変更し聴き続けることに。
せっかく数時間聴き続けたので、ラストまで聴いてみるかと思って、時折集中力が途切れながら聴き続けました。ただ、最後までグッと気持ちが盛り上がる、緊張感が高まる、そんなシーンはなく延々と男と女の心情を語られた作品でした。
しかも色恋の。
ちなみにこの物語前半パートは男性視点(西澤架)、後半パートは女性視点(坂庭真実)で1つの事実に対して、2人の真実を語り続けるプロットで、そこから浮き出される人間の傲慢さと善良さを問う作品に仕上がっているようです。
❓傲慢と善良のタイトルに込められた意味
予備知識として言葉の紹介をしておきます。
傲慢とは人を侮り見下すこと、善良とは素直な性質、そういった意味があります。
まず西澤架を通じて人間の傲慢さとは何か?坂庭真実を通じて善良とは何か?を聴いていくことに。しかし、架は傲慢だろうか?真美は善良だろうか?そう思ってしまった。
例えば2人は結婚を前提に付き合い始めたのに、2年以上という期間を経て婚約に至りました。しかもその婚約した理由が、真実がストーカー被害に合い、彼女を失う可能性もゼロではない、もしくは傷つけられる可能性もある。
だから結婚に踏み切った、というものです。ただ2年は長すぎる。
結婚という前提でスタートした交際で、2年も時間が経つのは架の傲慢の表れが垣間見れます。『もっといい人が現れるかも』そういった気持ちの隙間が透けて見えるし、前の彼女のことを引きずりながら、他の人と付き合うという傲慢さがまた人間ぽくて良かった。
その一方で真美はどうか。彼女は母親の言いなりで、従順に生きてきた経緯がある。架と付き合い始め婚約までして、その間に色々なことがあり、架との結婚が自分の意志なのかどうか分からなくなり失踪することに。
その引き金になったのが、架が真実につけたとされる70点という点数。正確には架は真美と結婚する気は70%だと言ったのですが、事実が捻じ曲がって伝えられることになりました。ただこれが真実が失踪する引き金になったのは間違いない。
そんな真実のキャラ設定での善良は、どうもしっくり来ません。善良は素直さという意味もあります。そういった言葉よりも私は『脆弱』という言葉がしっくりくる。
脆く弱い。意志薄弱、傍若無人なイメージです。
もし真実に強さがあれば、真実の母親が敷いたレールの上を歩いていくことは拒絶できたはずです。当然自分の力で伴侶を見つけ、選ぶことだってできるはずです。
しかし真実にはその強さがなかった。
だから失踪という選択肢をしたことも、彼女の脆弱さが原因なのです。
しかしです。私はこう考えます。
架にしろ真美にしろ人間なんてそんなものです。架の言動がおかしいと言い切れない、なぜなら人間だから。真美の言動がおかしいとは言い切れない、なぜなら人間だからです。
傲慢で他者を見下す、侮る、そういった考えに陥ることは誰にでも起こりえる。しかも無意識にそういった思考パターンになり周囲の人を傷つけることは誰だってしている。
逆に真実のように人に決めてもらって、その通りに生きる人もいる。自分の意見も曖昧で人に流されて生きていく、それも人間の生き方の1つです。
こういった視点の根底には、仏教の教えがあります。仏教では人間には108つの煩悩があると説いています。煩悩とは人を惑わし苦しめる要因です。
そういった智慧が私にはあったので、架も真実も人間だからそんなものだよ、という考えに至るのです。
そして人間というのは、他者とは分かり合えない。分かり合えないからこそ、孤独を感じる。孤独だから他者と繋がろうとする。しかし、やはり分かり合えない。そしてまた孤独を深めます。
そういった視点を持っていると、架や真実、その他の登場人物の言動だって、人間らしいのです。人間とはその程度の存在で、そういった者だと私は考えています。
👥主な登場人物
西澤 架(にしざわ かける)
39歳。親から引き継いだ地ビール輸入会社を経営。
婚約者・真実の失踪をきっかけに、彼女の過去を探る。
坂庭 真実(さかにわ まみ)
架の婚約者。35歳。群馬県前橋市出身。
過保護な母親の影響で、自己決定力が弱い。
美奈子(みなこ)
架の大学時代からの友人で既婚女性。
社会的成功を誇示しつつも、他者との比較で自分を評価するタイプ。
岩間 希実(いわま のぞみ)
真実の姉。母親の支配から脱却し、自立した生活を送る。
高橋 耕太郎(たかはし こうたろう)
宮城県でボランティア活動を行う男性。
被災地で真実と出会い、彼女に寄り添う存在となる。
坂庭 陽子(さかにわ ようこ)
真実と希実の母親。過保護で支配的な性格。
小野里(おのざと)
群馬県の結婚相談所所長。
登場人物たちに現実を突きつける。
💥私なら真美を伴侶として選べない
真実はストーカーに襲われたと嘘をつき、その後数か月も失踪した。架と婚約し式場まで抑えているにも関わらず失踪した。
いくら架が経済的に余力があるだろうといっても、数万円で済むようなキャンセル料ではない。数十万~数百万は覚悟しなければいけない金額です。ちなみに真美は失踪中の身だから無職。式場のキャンセル料はやはり架が支払うのでしょう。
そして物語のラストでは、2人が予定した式場をキャンセルし宮城県の神社で式を挙げることになりました。
あくまでも物語なので、こういったラストだった、というだけです。ただあえて、もし真実のような女性がいたら私は100%自分の伴侶としては選ばない。
なぜなら、結婚は結婚してゴールではないからです。結婚してから色々なイベントを乗り越えて夫婦になっていきます。価値観の相違、微妙な生活スタイルの違い、考え方の変化、容姿の変化、病気、思いもよらぬ出来事、こういったことが当然のように起こってきます。
狂言をして失踪し、周囲を巻き込み、結婚式場をキャンセルしなければいけなかった、そんな伴侶だとまた気に入らないことがあれば、失踪するの?と、思ってしまいます。
失踪までいかなくても、互いの間に摩擦が起きそうでその度に心身を擦り減らすのは辛い。
そういった不信感を持ったまま、相手を自分の伴侶としては選べない。仮に失踪前に真美が架と良好な関係を持っていたとしても、架に尽くしていたとしても、やはりその事実が脳裏にチラつく。
そして何よりも一度人間関係に亀裂が入ってしまえば、信頼を取り戻すのは難しいのも事実。それは人間だけに限らず、すべての関係に共通します。
だから信頼はお金に勝ると言われているのです。
💔婚活という地獄を知った
婚活では相手に条件をつけて選ぶことができるようです。ようですと言うのは、私は婚活という概念を知らないうちに結婚しました。だから婚活をしたことがありません。
なのでこの物語で婚活の地獄を知ったとき驚愕しました。
何に驚愕したって、相手を条件で選別し、定型文的なメッセージのやり取りをし、会って、そしてまた何度も繰り返してきた似たような話で相手を知ろうとする。
それを繰り返して伴侶候補を選別していく、こういったことは私の当たり前の埒外。
想像すると、互いが値踏みしながら同じ空間、時間を共有していることに、強烈な嫌悪感が噴き出して背筋がゾッとする。
そもそも、相手を条件付けして選んでいる時点で、地獄の1丁目1番地に滞在していると言えないだろうか。なぜなら相手のその条件が消えてしまえば、条件付き愛情、一緒に居る意味は消滅するのではないだろうか。
だからそういった伴侶との結婚生活はうすら寒い光景になるだろうと、想像してしまい、婚活の辛さが私の心身を貫きました。それと同時に、私ならそんな事までして伴侶を得たいと思うだろうか、と考えてしまった。
ただ1つなるほど、と思ったことがありました。それは物語の登場人物、小野里のセリフです。
ピンとこないの、その正体は、その人が自分につけている値段です。
仮に自分が70点という点数を自分につけている、逆にあなたは相手に対して100点だと評価したとします。この30点のギャップはあなたに不安、嫉妬、劣等感などネガティブな感情をもたらすかもしれない。
もちろん、そんな良い相手に巡り合えたと良い感情を抱く可能性だって十分にあります。
その一方で、期待値を仮に下回った場合、例えばあなたは相手に50点の評価を付けたとします。そうすると、見下し、傲慢、蔑みなど、これもまたネガティブな感情があなたに出てくるかもしれない。
つまり、『ピン、とこない』と感じることだろう。
良い出会いというのは、つまるところ、自分がつけた自分の値段と他者につける値段の相違が少ない、ということになるのだろう。
これもまた物語では、傲慢の一端だと問いかけてきます。
😵💫ピンとこない理由がわかった
私が『傲慢と善良』の作品に対して、ピンとこなかった理由がようやく理解できた気がします。
それは、この物語の前提にある、人間が抱える無意識の傲慢さ、意思決定の強弱、その人物の人格形成に至る経緯を分かった気になっていることでさえ傲慢であり、偏見に満ち溢れているということ。
そういった傲慢さ、偏見に気付けたのは仏教でいう八正道、四苦八苦などの教えを私は知っていたからこそ、気づけたことです。
だからこそ、この物語が問いかけているいることを、既に智慧として知っていた。約2500年前に仏陀が説いたとされる教えを知っていたからこそ、そこにギャップが生まれ、ピンとこなかった、という答えになったのだと考えるようになりました。
凄く分かりやすい文章にすると、『当たり前のことが書かれている小説』となります。
もちろんそれさえ傲慢だという無限ループみたいな、螺旋階段はあるのですが、個人的にピンとこない理由がしっくり分かった。