ネタバレしていますので注意してください。
😊十戒をより楽しむ為に
著者の夕木春央氏の作品の中に、方舟と呼ばれるものがあります。十戒と似た点があり、特に逃げ出せない状況と言うのが似ています。
作者の作風を知ったりするためにも、方舟から読んでみるのが良いかもしれません。
絞首商會 2019年発売
方舟 2022年発売
十戒 2023年発売
方舟や十戒も予想外の結末が面白く、かつ読み終わったあと胸に残る重苦しさが良い。伏線や結末の考察が好きな人にもおススメです。
💥推理小説としての十戒を破っている
聞き終わった時、助手役の里英が嘘をついていたことが気になった。『私は横にはなってたけど、ずっと起きてたんだ。綾川さんはずっと隣で寝てた。』と読者に嘘の情報を与えた点です。
推理小説には物語の前提、指針そういったものがあります。それが以下の通りです。
- 犯人は、物語の当初に登場していなければならない。ただしその心の動きが読者に読みとれている人物であってはならない。
- 探偵方法に、超自然能力を用いてはならない。
- 犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が1つより多くあってはならない。
- 未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。
- 主要人物として「中国人」を登場させてはならない。
- 探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。
- 変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。
- 探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。
- サイドキック[注 2]は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない。また、その知能は、一般読者よりもごくわずかに低くなければならない。
- 双子・一人二役は、予め読者に知らされなければならな。
引用元:wikipedia (サイドキックとは助手役、ワトソン役のこと)
この嘘があることで、綾川を犯人として断定できなくなってしまいます。彼女には完全なアリバイがあるから。しかし物語が進むにつれて綾川が怪しいというのは、この本を読んだ人の多くが感じた率直な感想なはずです。
と言うより、彼女以外、犯人がいないのです。それくらい彼女が全面に出てきます。その点に加えて他の登場人物の背景がほとんど描かれていない。
サラッとした情報しかないので、読者は里英、里英パパ、綾川、沢村、この4人に焦点が合ってくるのです。それくらい、他の登場人物の背景が薄い。唯一、野村の家庭環境が複雑だなと思った程度です。
さてココから本当に書きたかったことです。
実は助手役の里英の嘘はあまり重要じゃなく、私が本当に気になったのはさっき伝えた十箇条のことです。これはノックスの十戒と呼ばれています。
ええ、また十戒です。
次にこの物語のタイトルである十戒、たぶんモーセの十戒を想起させています。
👀イスラエルの民に授けられた十戒とは!?
モーセの十戒とは、旧約聖書に登場する神がモーセを通してイスラエルの民に授けたとされる10の戒めです。それが以下の通り。
第1戒:あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない
第2戒:あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない
第3戒:あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない
第4戒:安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ
第5戒:あなたの父と母を敬え
第6戒:殺してはならない
第7戒:姦淫してはならない
第8戒:盗んではならない
第9戒:あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない
第10戒:あなたの隣人の家を欲しがってはならない
ノックスの十戒の9戒、『助手役は自分の判断をすべて読者に知らせなくてはならない。』
モーセの十戒第9戒、『あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない』
どちらも正直に伝えなくてはいけない、ということです。これが『十戒』と呼ばれる物語じゃなかったら気にしなかったのですが、私はどうしてもノックスの十戒とモーセの十戒を意識してしまいました。
物語で生きている人物たちは十戒を守り続け、物語を作った作者は十戒を破った。そういった対比がまたこの作品の魅力なんだろうと考えています。
💯最ラストに向けての三重奏
1.爆弾犯の指摘(小山内、矢野口、藤原)
↓
2.綾川が犯人
↓
?
🟥第1の幕開け。
綾川が華麗に爆弾魔の3人を指摘し、藤原が2人を殺して口封じをし逃走したと論理的に筋が通った推理を展開。
しかしですね、私は綾川の推理を聴いて明らかにおかしいと思った。藤原は自分が仮に生き残ったとして、その後どうやって生きていくのか?身分証、仕事、住む場所、お金が全て無くなるのです。
彼が極悪人で裏社会と通じている人物なら、戸籍を新しく作り、住む場所、当面の生活費などを準備してもらい、別人になり生き残っていく可能性も多少はあるだろう。がしかし、彼は矢野口が殺されたあと、明らかに動揺していたし、きっと怯えてもいただろう。それは作中の描写でもある。
藤原さんは、青ざめた顔でキョロキョロと、無意味に部屋を見回していた。
こんなに追い込まれている人物が、その後逃げて上手く生きていけるのか!?
なので綾川の論理は完全に破綻している。まず前提がおかしい。彼は人を殺して自分だけ逃走し、別人として生きていくことなど想定していない。作中の描写からも分かるように、彼はそんな大物ではないのです。
と、第1の幕、綾川の推理を聴いても、『ふーん』、『へぇー』くらいに感じた人もいるでしょうし、『藤原が犯人なわけない!』と直感で感じていた人も多いはずだ。
論理立てて説明できなくても、ミステリーマニアなら直感で分かる。これで物語が終わるわけないと。
🟩第2の幕開け。
前述したとおり、綾川が怪しいというのは正解です。島を離れ船上で綾川が里英に自分が犯人だと告げます。当然、里英も綾川が犯人だというのは知っていた。
なにせ、里英は『綾川が1泊目の夜、部屋から出ていった』と知っていたにも関わらず嘘をつきました。
『綾川さんはずっと隣で寝てた。』と。この発言で、里英は綾川の共犯だと言われても仕方のない。
ですが、あなたも思ったのではないでしょうか。綾川の独白を聴いても、『まぁ、想定の範囲内ですけどね。』と。
実際私も、『来たね、この展開』くらいの感想です。
が!しかし、この物語はまだ終わらなかった。ココからがこの物語の本当のラスト、最ラストなわけです。
🟦第3の幕開け。
綾川は続けて里英に以下の情報を提示します。
綾川は旧姓である
夫は行方不明になった
『私、いっつも、自分が助かることしか考えてないかも。』
『私勝手に人を好きになって、期待してそれでガッカリすること多いんだよね。』
『じゃあ、さよなら』
綾川と里英は別れるときに、連絡先を交換しています。なぜでしょうか?もう2度と会わないなら、連絡先など交換しなくてもいい。
仮にまた会いたくなれば同じ会社の沢村に聞けば、里英パパを通じて彼女と接触することはできるだろう。にも関わらず綾川は里英と連絡先を交換した。
なぜ!?
そこを考察するために、まずモーセの十戒を調べてみました。
モーセの十戒ではその戒律を守るために、後に司祭、指導者たちが民に戒律を守るように求めたのです。
その背景から考察するに、綾川は里英を指導(監視)する立場に立ったのだと思われます。綾川と里英の2人の秘密を死ぬまで守るように、その為には彼女とはまたいつか会う必要がある。だから連絡先を交換したのでしょう。
もっと考察をするなら、今後、里英が綾川の利益になる人物として使えると思ったのかもしれない。
話を戻して、綾川が犯人だという証拠は一切ありません。ただ、彼女にはある過去があるのです。そこを考察すると里英が警察に行かれると面倒なことになります。
この点はあとで考察しますでの、またまた話を戻します。
そのあと彼女たちは、品川駅の雑踏の中で別れることになります。綾川は里英の目を見て、それまでの綾川とはまるで違う声のトーンでこう言います。
『じゃあ、さよなら』と。
里英が綾川を好きだったように、綾川もまた里恵が好きなのだろう。そう、勝手に好きになって、期待してそれでガッカリする彼女だからこそ、言い慣れているのです。
別れの挨拶なんて。だから彼女は最後の最後に本性を剥き出しにし里英を見て言ったのです。
『じゃあ、さよなら』と。きっと冷たい声で、無表情で。方舟に登場した越野柊一に言ったようにです。
ええ、綾川の名前は、あの方舟の生き残り絲山麻衣なのですから。地下建築内で麻衣が柊一に最後に発した、『じゃあ、さよなら』、そして里英にも言った同じ言葉。そして、『私、いっつも、自分が助かることしか考えてないかも。』、これらこそ、彼女が麻衣である証拠であると思わざるを得ない。
この物語は、あの一文のために作られたのかもしれません。麻衣が発したセリフだけで読者の脳内には、地下建築内や枝内島で起きたこと、そして品川駅で麻衣と里英が互いに向き合っている姿に至るまで、一気に再生されていきます。
しかし、物語の中では、綾川が麻衣だとは断言されていません。あくまでも考察の範囲内です。ですが、綾川=麻衣説だと、彼女が人を殺すこと、死体を損壊すること、死体を運んだ状況を楽しそうに里英に伝えたこと、それらすべての描写に納得ができるのです。
そして爆弾犯を殺したのは藤原だという論理を組み立てが出来たのも、IQの高いサイコパスな麻衣だからと全ての辻褄が合ってしまうのです。
😵💫なぜ里英に警察に行かれると困るのか?
それは今後、警察のマークが厳しくなり、殺人に制約が掛かってしまうからです。今のままだと麻衣は主人が行方不明になった不憫な女性のままでいられます。
ですが万が一、地下建築内で死んだ9名と、さらに枝内島で死んだ3名、合計12名の死亡に麻衣が関わっていたとなると!?
当然警察も意識せざるを得ません。綾川麻衣が関係しているかもしれない、と。そうなると麻衣も面倒なのでしょう。今後警察のマークを意識し人を殺しそして逃げきるのは。
それに、里英が枝内島で起きたことを全て喋ってしまえば、警察は行方不明になった9名と麻衣が関わっていないか調べるでしょう。
もちろん物的証拠など一切出てこない。だって山奥の奥の地下で死んでいるし、地下建築の入り口の片方は土砂で埋まっている、もう片方は水没している。
内部の構造も分からない場所なので、危険すぎて捜査も出来ないでしょう。しかし、確実に警察の疑いの目は麻衣に向く。
そう考えると、面倒なことは極力避けなければいけない。だったら里英にしっかりプレッシャー掛けて口を割らないようにしておくことが大切だと考察します。
そのプレッシャーというのが、『里英に与えた戒律』なのです。里英は犯人が麻衣だということを知っていた。にも関わらず、本当のことも言わず、彼女を止めることも、周囲の人間に相談することさえしなかった。
その結果、3人の命が失われてしまった。爆弾犯だというのも麻衣の話だけで、実際はどうなのか分からない。矢野口のスマホにあったSNSのトーク履歴でも、彼らが爆弾犯であるという決定的な証拠はありません。
過去のもの(トーク履歴)は削除されているようだと、作中でもありました。なので彼らが実際、どんな目的であの爆発物を準備したのかさえ、真実は分からないのです。
事実として残っているのは、麻衣が語った小山内、矢野口、藤原が爆弾犯だという、一方的な真実だけです。
人の死に関わってしまった里英は、その罪悪感から警察に駆け込むかもしれない。逆に麻衣のお陰で助かった命もあると考え、口を閉ざしてしまうかもしれない。
どちらにしても、2つの側面を意識すれば、そう簡単に警察に行くことはできないだろと考えます。それに里英は、これからずっと秘密を意識して生きていかなければいけない、と語っています。
里英が子供の頃、叔父さんがくれたワインを飲んだこと、叔父さんから『父さん母さんには、内緒な。絶対』、と言われた約束をずっと守っていること、この背景から考えるに、里英は自分が死ぬまで枝内島で起きた真実は語れない。
なぜなら、これこそ麻衣から課された里英の戒律だからです。
散りばめられている伏線
1週目では気付けない、綾川が犯人だと仄めかす描写があります。
✅里英が2日目の朝起きた時(小山内が死体で発見された朝)、なぜ綾川は汗を掻き着替えをしていたのでしょうか?直後、里英はパジャマの上にパーカーを羽織って部屋を出ていきます。
季節は秋です。里英と綾川が一緒に遊歩道を歩いている時の描写にありました。秋の朝7時頃なら肌寒いでしょう。にも関わらず、綾川はなぜ汗を掻いていたのでしょうか?
↓
🅰️答えは、小山内を殺し汗を掻いていたから。
✅綾川、里英、里英パパの3人が集まって話をした際、里英が自分と綾川のアリバイについて説明しようとしています。その直後、綾川は『一瞬、訝しげる表情をした』と描写があります。
訝しげるとは、不安な表情、不審そう、怪しく思う、気がかりである、こういった意味があります。
自分のアリバイを証明してくれるなら、嬉しい、感謝、こういった感情が沸き起こってくるはずです。不安そうな表情、人を怪しむ顔つきにはならないはずです。
なぜでしょうか?
↓
🅰️答えは、綾川が途中で部屋を抜け出していたことを証言されるのを恐れたから。
🚨野村の役割
草下工務店の野村って物語で必要!?って思ってました。だって枝内島では、精神の均衡が崩れた人物として描写され、さらに妹からはこう罵倒されています。
『姉さんくらい適当に結婚して、子供作って離婚してる人、私の周りに他にいなんだけど。』
手のかかる子供を抱えているシングルマザーの野村ですが、物語の中ではそんなに重要じゃないように思ってました。
しかしですね、これだけしっかり練られたプロットで、野村みたいな余計な人物を書くかなぁ!?と思ってしまいました。
ただ、綾川=絲山麻衣というのが明らかになったとき、ちょっと捻じ曲がった考察をすると、罵倒の一文ですら意味があるように思えてきます。
適当に結婚した=麻衣も勝手に好きになって結婚した。
離婚してる人=ガッカリした夫を見殺しにし離別した。
実は麻衣の存在を少しだけチラつかせていたのではないだろうか、と。まぁかなり無理がある解釈ですが、こんな自由な考察さえできる十戒なので、読んだことない人にぜひおススメしたい。
色々な意味が分かってくると、ゾクッ!とする作品なのでぜひ方舟→十戒の流れで聴いて(読んで)みてください。後悔はさせません。絶対に!