ネタバレしていますので注意してください。
✅恋愛小説じゃなかった
主人公の青埜櫂(あおのかい)、井上暁海(いのうえあきみ)を軸に彼らと関わる全ての人物の、『生きる』物語だと思いました。
物語の序盤では、櫂と暁海の機能不全家庭の描写、そこから2人が青い恋を通じ、互いに離れがたい何かがあることを薄っすらと気付く。
その離れがたい何かは、きっと2人にしか分からないことなのだと思う。親のハンディを背負って生きている2人が惹かれ合い、セックスを通じて快楽と安心で心を満たし重ねてきた10代の時間。
その時間の中で、2人はお互いが自分の半身になったのではないだろうか。相手を失うということは、自分の心の半分を失うという深い精神的な結びつきを、櫂と暁海はあの島で編み込んできたのだと思う。
それはまるで刺繍をするような作業だったのだと感じる。
だから櫂と暁海は離れていても、時間がどれだけ過ぎてもお互いを忘れられず、捨てられず、ずっと心の支えになっていた。
皮肉なことに、一緒にいる時よりも離れているときの方が、きっとお互いを必要とし大切に想っていたのだと思う。
単に男と女の恋愛じゃなく、同じ星のもとに生まれ落ちた同志だったのだなぁと。
そしてその2人の輝きに花を添える人間模様。暁海の父と瞳子の関係。病んでいく暁海の母。久住尚人の性的志向。二階堂絵里の強さと弱さ、櫂の前に現れて消えていく女たち。
すべての人物に1つの人生があり、苦しみと哀しさがあった。
きらきらした人生じゃない、逆にドロドロした人生でもない、暗い人生でもない。
あったのは、私たちのすぐそばにある、1つの人生の物語だったのではないだろうか。
👥主要な登場人物
青埜櫂(あおのかい)
漫画家を目指す。母親の奔放な恋愛に振り回され孤独な人生を送る。漫画を通じて自己表現を追求する青年。
井上暁海(いのうえあきみ)
刺繍が趣味でオートクチュール刺繍作家を目指す女性。父親が不倫相手のもとへ。家庭環境が不安定でありながら母親と島で暮らす。
青埜ほのか
櫂の母親。男がいないと生きていけない体質。男依存症。幼い櫂を半月も1人にさせていた過去も。
暁海の母親
夫の浮気が原因で精神的な不安定に。時間の経過とともにその人格も破綻気味に。
北原先生
櫂と暁海が通う高校の化学教師。
北原結(きたはらゆう)
北原先生の娘。
久住尚人(くずみなおと)
櫂の漫画パートナーで2歳年上。繊細な性格の持ち主でありゲイでもある。
安藤圭(あんどうけい)
尚人の恋人。高校生時代から交際している。
植木
櫂と尚人の漫画作品の編集者。彼らが持つ才能に惚れこむ。
二階堂絵里(にかいどうえり)
文芸編集者。櫂に作家としての道を示す。強さの裏に依存的な脆さが共存する。
林瞳子(はやしとうこ)
暁海の父親の浮気相手でオートクチュール刺繍作家。経済的に自立し精神的な強さも兼ね備える。
🚀タイトルの意味
夕づつを見て/佐藤春夫
きよく
かがやかに
たかく
ただひとりに
なんじ
星のごとく
著者の凪良ゆう氏は、この詩の一節、”なんじ星のごとく”、この言葉に強い感銘を受けて、本作品のタイトルにしたと言われています。
清く、輝き、高く、そして孤高であれ。天高く煌めく星のごとく。
素晴らしい詩だ。
自分自身への戒めとして、また誰かを讃える、励ます言葉として、静かに気高く勇気を与える詩です。
“汝、星のごとく”
この一節をタイトルにした想いは一体なんだったのでしょうか。
きっと物語に登場した人物への戒めや励ましだけではないはずです。
これだけパワーを持った詩、一節がその物語の中だけのものではないと考えています。
きっと、この本を手に取った読者全てへのメッセージなのです。
『あなたは天高くで輝く星なんだよ』っていう。あなたの存在自体、それがもう特別なんだという解釈をしてみました。
🥵毒親と荷物な親
毒親という言葉は、1999年以降から使われ始めたと言われています。
- 子どもを過剰にコントロールしたり、支配したりする
- 暴言や暴力、無視、ネグレクト(育児放棄)などの虐待行為を行う
- 子どもの個性や意見を認めず、価値観を押し付ける
- 子どもに罪悪感や依存心を植え付ける
- 子どもの自立を妨げる
こういった行為を子供にしている親のことを指し、しかも当の親はその自覚がないことが多々あるとも聞きます。
そしてこの物語に出てくる櫂、暁海の母親は毒親です。
子どもに罪悪感、依存心を植え付けている点、自立心を妨げている点があるので毒親だと判定できます。
しかし、程度の差はあれど毒親は多い、恐ろしく多いはずです。その中で子どもたちは大人になり、そして子どもが生まれ、繰り返されていく毒の連鎖と荷物化する親。
その中で育ってきた人間に、『普通』は分からないのです。
そして、毒の連鎖の先に待っているものは、たいてい悲劇です。それに終止符を打つためには、林瞳子が言っていた言葉が本質を突いています。
きみのそれは優しさじゃない。弱さよ。
いざってときは誰に罵られようが切り捨てる、もしくは誰に恨まれようが手に入れる。
そういう覚悟がないと、人生はどんどん複雑になっていくわよ。
きっとこれが答えです。分かっています。でも、これを実行するのは至難の技なんです。なぜなら、自分の親を切り捨てるということは、その子どもにとっての源を捨てることなのですから。
だからこそ、この毒の連鎖を断ち切ることは、本当に難しいのだと考えています。
💡物語が伝えたいことは何だったのか?
お荷物と化した母親
その影響で歪む思考
生きることの苦悩
世間の偏見と悪意
すれ違う男と女
単純に櫂と暁海の恋物語、切なく、感動的なストーリーという側面だけじゃない。
足枷を付けられた子供たちが、どれだけハンディを持って生きなければいけないのか。
世間がどれだけ身勝手で、悪意に満ちたものか。
正しさとは何か、当たり前とは何か、その基準は?誰がそれを判定するのか?
色々な要素が詰め込また物語だけあって、その数だけ側面があります。結局、私たちの考えていること、やっていることには正解など無いのだと考えています。
時代が変われば、法律が変われば、社会構造が変われば、『普通』と言われていたことも、あっという間に『異常』だと言われるようになります。
その中で、自分を肯定し生き抜いていく。苦しさに満ちた人の道に、希望と灯りを持って生きていく。
その為に、この物語のタイトルがあるのだと考察します。
『汝、星のごとく』
とても素晴らしい作品で、物語と共に有意義な時間を過ごせました。