ネタバレしていますので注意してください。
😊一雫ライオンが作る物語の魅力
読後感がある小説って、上手く余白を残してくれてるってことだと思っています。余白があるからこそ、読者側は結末の後を想像したり作中の描写を考察したりして、その世界に浸ることができると思っています。
たぶんですけど、その作者が作る物語の世界観の好き嫌いって、人間の相性みたいなものだと思います。
だから、他人が高評価してても、自分はイマイチ『ピンッ!』と来ないときは、相性が悪いところもあるはずです。
でね、私、著者の一雫ライオン氏の文章が好きなんだろうと思うのです。具体的にどこがいいの?と訊かれると困るのですが、文章を読み進め、物語に没入してくると、文章が心にグサッと刺さってくるわけです。
それが私は好きなんだろうと、そう思うのです。一雫ライオン氏のデビュー作、『二人の嘘』でもそうでした。朗読(オーディブル)で聴いたのですが、音声が脳内で映像化され、まるで映画を観ているような、そんな作品でした。
あの物語も描写が上手い。つい感情移入させられてしまう文章になっていました。
詳しくは下の記事をみてください。
そして今回の作品、『流氷の果て』は、冬の北海道、バスツアー事故、翻弄される子供たちの人生がベースにあります。
しかも時代背景がバブル経済が弾ける前の日本。私は当時子供だったので、バブル経済を体験していないから分からないけど、東京だけじゃなく地方都市も『熱』がありました。
人もエネルギーに溢れ、強さがあったように感じます。そう、今には無い『強さ』があったように思うのです。その異質な時間の中で、今回の物語は展開されていきます。
しかも物語全体に薄暗く冷たい空気が漂わせながら。
主要登場人物の背景にも程よく余白があり、読者側は想像できます。想像できるからこそ、共感してしまう部分も生まれる。
それがまた物語に深みを与えて、『ズンッ』と心に響いてくる。
まぁ、さっきも伝えた通り相性なので、まずは気軽に手に取って読んでみてはいかがでしょうか。つまらない時間にはなりませんよ。
🧊タイトルの流氷の果てとは
流氷とは、海を漂う氷のこと。

画像引用元:wikipedia
果て、とは物事の終わり、最終地点という意味があります。
この物語のタイトル”流氷”とは、釜利修一、能瀬由里子らが、流氷のように潮や風に流され漂流していく様を表しているのだと思います。
そしてその終着地点がどこなのか?漂流し続けた先に彼らに待ち受けているものは何か?それを仄めかしているのだと考察します。
👤登場人物
釜利修一:バス事故当時、4年生(10歳)。気弱な印象
釜利紀一:北斗流氷号の運転手。39名の死亡者を出す。修一の父親。
楠木保:修一の新しい名前。介護福祉事業で成功を収める。
能瀬由里子:バス事故当時、6年生(12歳)。口元が可愛い子で他人を惹きつける何かがある。後にラジオDJになる。
真宮篤史:新宿署の刑事。痴呆症(認知症)を患っている母と同居。
▼バス事故の生存者
暮山昇(62歳)、光山洋子(45歳)、与儀宗和(26歳)、浅地恒雄(14歳)、八田晋平(48歳)
🫶楠木美樹と楠木保の関係
私が印象深く覚えているシーンがあります。それは刑事の真宮が楠木保の元妻、楠木美樹のマンションを訪れたときのことです。
美樹は真宮にこう語っています。
もし両親がわたし達が育てたなんて口にしたら焼き払います。過去を消してでも生き抜いていきたい人間も、この世にはいるんです。
美樹も壮絶な過去を持っていることが分かる描写です。彼女は女だから、身体には目に見える傷がないかもしれない。
しかしその心には、楠木保(浅地恒雄)と同じ無数の傷、ケロイド状のものがあるのだろうと思った。
同じ死線を潜り抜け、そして必死に生き抜いてきた人間。そんな過去を持った人間はそう居ない。だから美樹は浅地に男としても惹かれ、人間としても惹かれたのだろうと思う。
そして単に男と女という関係ではなく、彼らは同志だったのだと思う。過去を消してでも生き抜いていく。
だから美樹は彼の為なら名前だろうが、お金だろうが、それこそ浅地が求めるなら、全てを投げ捨ててでも彼の盾や剣にもなるだろう。
だから彼女は何もしてやれない、できない自分に、そして愛する彼のことを想い泣き崩れたのだと考察します。
📒真宮が放った刑事手帳の意味
真宮は駒田(警視庁刑事部長)と酒を酌み交わしこう語っています。
これはおれたちが挙げてやらなければいけない事件だと思わないか?昭和を生きてきたおれたちが。(中略)
情念やらが詰まっていた時代を生きてきたおれたちが。その残骸に巻き込まれた子供たちを、救ってやらなきゃと思うんだよ。
真宮は数か月後に刑事を退職する。その彼は、北斗流氷号バスツアー事故に巻き込まれた子供たちと出会ってしまった。
釜利(浅地恒雄)は介護福祉事業に携わり、陽光ホームを作り上げ、そしてその介護施設には浅地の信念と清廉さがあった。
真宮が浅地に強い想い入れがあるのも、私利私欲に塗れた人物とは一線を画した人物だったからではないだろうか。
北斗流氷号バスツアーを考えた大人たちの浅ましさとは雲泥の差である。その浅地はあのバス事故前からずっと苦しみ耐えて生きてきた。半シャモとして生れ落ち、アイヌとしてもその他の者としても帰属できなかった。
ずっと戦って苦しんできたのだ。それは彼の身体の傷が如実に物語っている。
そのすべてを知った真宮は、どうしても浅地を、そして彼を支えている能瀬を本物の釜利を救ってやりたかった。
真宮は30年以上刑事をやってきて、きっとそこに誇りもあるだろう。それと同時に多くの後悔もあるはずだ。昭和という栄枯盛衰を極めた時代を生き、彼にしか分からない苦悩も多くあったのだろう。
だから最後に、終わりのない逃亡生活を続ける子供たちを救いたかったのではないか。大人たちの利権に塗れた汚い世界に巻き込まれ、人生を狂わせられた子供を救いたかった。
そして遂にその時がきた。
すべてが終わり、本物の釜利修一の元へと訪れた真宮は、きっとこう彼に伝えたかったのだろう。
『すべてが終わった。もう逃げ隠れしなくてもいいんだ。』
しかし、そんな言葉は釜利に不要だった。彼は強い人間へと変貌し、芯がある男へと成長していた。だから真宮にすることはもう何もないのだ。
刑事として、昭和を生きた1人の人間として、真宮のすべきことは済んだ。役割を終えたのだ。だから警察手帳を放ったのだ。
🚀物語の結末を考察
釜利修一と浅地恒雄の入れ替わり。それを能瀬由里子がラジオで近況を伝える橋となっている点。特にラジオというのが良いです。
ラジオってテレビ、今はライブ配信もあるけど、そういったのとはまた違った良さがあります。余白というか想像できるところ。
DJの性格、声のトーン、番組内で流れる音楽、ハガキ(FAX)そういったのが凄く親近感を感じさせる。一方通行というより相互通行みたいな感じです。
そういったラジオの良さを、今回の物語に組み込んでいます。
さて、結末の考察です。
浅地は由里子がDJを務めるラジオにハガキを送ります。そしてそれを読む由里子。そこには浅地の由里子への想いが記されていました。
当然、周囲の人間にはバレないように由里子にしか伝わらないように。さぁここからが作者の真骨頂です。
由里子は番組の最後の曲に、『悲しみにさよなら』を選びます。この曲の歌詞って、由里子の浅地への想いがそのまま詰まっていると考えています。
能瀬由里子にとって浅地は初恋の相手でした。そしてずっと彼を想っていた。それは大人になっても変わらずずっと。
だから彼女は浅地からの告白の返信に、この曲を選んだのだと思います。私はあなたを慕っているのです、と。
泣かないでひとりで
ほゝえんでみつめて
あなたのそばにいるから夢にまで涙が あふれるくらい
恋はこわれやすくて
抱きしめる
腕のつよさでさえなぜか
ゆれる心をとめられないでも 泣かないでひとりで
ほゝえんでみつめて
あなたのそばにいるから唇をかさねてたしかめるのに
夢の続き 捜すの
うつむいて
ひとつの夜にいることも
きっとあなたは忘れているもう 泣かないでひとりで
ほゝえんでみつめて
あなたのそばにいるから悲しみにさよなら
ほゝえんでさよなら
愛をふたりのために泣かないでひとりで
ほゝえんでみつめて
あなたのそばにいるから悲しみにさよなら
ほゝえんでさよなら
ひとりじゃないさ泣かないでひとりで
その胸にときめく
愛をかなえられたら飾らないことばで
なくせない心で
ひとつになれる泣かないでひとりで
ほゝえんでみつめて
あなたのそばにいるから
悲しみにさよならOh-Yeah
(La la la la la la la la la la)
でも、3人は逃げ続けなければいけない。汚い大人たちに巻き込まれ人生を狂わされた宿命を持つ者として。
しかし、それを救ってくれる大人もいた。それが真宮だった。彼は浅地、能瀬、釜利の3人を救う術を知っていた。
そして減刑の嘆願をするために、法廷に立つことも厭わないと考えもしていた。さらに真宮は浅地や能瀬の強い想いを知っていた。
絶対に守らなければいけない修一のこと、それを公にせず、彼らを地獄の底から救い出してやった。もうね、ここまで物語を読んで彼らの想いと背景と行動を想像するとですね、泣けます。
ここまで純粋に生きられるのかと。復讐、逃亡、愛、恋、強さ、理不尽、不遇、痛み、怒り、傷、不平等、悲しみ、そういったもの全てを抱え込んで、屈折せず生きていけるのだろうか。
もし私が彼らの立場になったら、どうなっただろうかと想像もした。
そして浅地恒雄は15年の刑期を終え出所します。たぶん44歳くらいになっているはず。能瀬由里子は42歳。そして釜利修一は40歳。
昴は由里子の2つ年下だから40歳。本物の修一と同い年です。
ひょっとしたら40歳って、もう人生終わりじゃん、と思う人いるかもしれない。今更何ができる?そう思う人もいるかもしれない。
でもね、ココから人生って長い。おっさん、おばさんと呼ばれるようになってから、人生は長いのです。
もし変わろうと思えば、何かをやりたいと考えれば日本ではそのチャンスは十分にある社会なのです。そういった制度も恵まれていない国よりもあるのです。
それに浅地は重しのある人間で、介護福祉事業の業界で名を馳せた人物です。彼を助けたいと手を挙げてくれる先輩たちは多いはずです。
そして能瀬は元来明るく笑顔が素敵な女性でしかも美人でもあります。何よりも芯がしっかりしている。
だから2人なら40代からでも、いくらでも自分たちの道を見つけ生きていけるでしょう。
そんな事を私は勝手に想像してしまいました。そして流氷の如く漂っていた彼らの悲しみにも終わりが近づいてきました。
由里子が泣く姿が脳内で再生される。その果ての先に、彼ら4人のそれぞれの道があるのだろうと想像してしまった。そして浅地と能瀬には、形に拘らない『愛』を育んで欲しいとも思った。
今回の作品も本当によかった。次回の作品もぜひ読みたいです。