ネタバレしていますので注意してください。
作品概要と著者紹介
2021年4月の小学館文庫から発売されたミステリー小説。著者の桜井美奈氏は2013年に『きじかくしの庭』でデビューし、第19回電撃小説大賞を受賞。
桜井氏の作品は、独特のタイトルと衝撃的な展開がされることで知られています。
そして今回紹介するこの小説も物語の衝撃度もさることながら、本のタイトルもパンチがきいている。『殺した人間が帰ってくるって、何?』って感じだと思います。
そして軽い気持ちで物語を読んでみると、ズルズル引きずり込まれて先が気になってラストまで読み進めてしまう緻密なストーリーです。
この物語は主人公の鈴倉茉奈(まな)が、5年前に夫の和希を崖から突き落として殺した、という過去から展開されていきます。その夫が、なんと突然目の前に現れたのです。
しかも、夫は記憶の多くを失い、さらには暴力的だった性格も正反対の穏やかで優しい性格に変わっていたのです。
なぜ?なぜこんなことが、、、。なぜ茉奈は彼を殺そうとしたのか?
登場人物紹介
主要な登場人物は以下の通りです。
偽物の鈴倉茉菜(すずくら まな):28歳、主人公。アパレルメーカーに勤務。
和希(かずき):茉菜の夫。
穂高(ほだか):茉菜の取引先の男。茉菜にしつこく言い寄る。
佑馬(ゆうま):和希を装い、偽物の茉奈のもとに帰ってくる。
愛(あい):無戸籍児とし育つ。存在しない人間。後に鈴倉茉奈になりすます。
本物の鈴倉茉奈:愛の親友。愛と同様、不遇な環境で生きていた。
あらすじ
東京のアパレルメーカー勤務、28歳の女性が主人公。名前は鈴倉茉奈。一見どこにでもいそうな普通の女性だが、彼女には人に言えない暗い過去がある。
彼女は5年前、自分の夫を殺してしまっていた。この一件が彼女のトラウマとなり、日々の日常生活はいつも暗い影が差し、冷たいものになってしまう。
そんなある日、茉奈のもとに死んだはずの夫(和希)が帰ってくるという、衝撃的な出来事から物語が急激に動き出す。
以前の暴力的だった夫とは打って変わって、とても柔和な人物に変わっていた。その代わり、彼は記憶の一部を無くしていた。
不安を抱えて彼との生活を始める茉奈。ある一通の手紙が彼女の郵便ポストの中に投稿されているのに気付く。
『鈴倉茉奈の過去を知っている』
差出人不明の手紙、自分が犯した罪がいつか明るみに出るのではないかという恐怖。この出来事以降、スピードを増して破滅へと向かう茉奈の日常、そしてクライマックスで明かされる一人の女の半生に驚愕する。
無戸籍という虐待と残酷な社会
この物語の核になっているのが、無戸籍児の存在です。日本政府の調査では、2024年現在約770人の無戸籍児がいると言われています。
その一方で民間の支援団体の調査では、最低でも1万人以上の無戸籍児がいるとも予測されています。
つまり実態は誰にも分からない、それが事実なのです。
物語では無戸籍児の愛が、恵まれない環境の中で生きてきました。母親の男の相手をさせられ、育児放棄を受ける、学校へ行けないなど、筆舌に尽くし難いってやつです。
ただフィクションではなく、現実社会でもこのようなことは起きているのだろうと想像した。
搾取され暴力を振るわれ、それでも生きている無戸籍児がいるのだろうと聴了後、思考を巡らせていると暗い気持ちになってしまった。
こういった劣悪な生育環境で育つと、一般化された普通が分からなくなりがち。例えば近親者とセックスをしては倫理的におかしい、人のモノを盗んでは良くない、そういった普通が狂ってくる。
それは、親から与えられる思考というメガネが曇っているからだと思う。その歪んだメガネを通じて社会を覗き、そして歪んだ考え、歪んだ行動するので結果は歪んでいます。
この物語に登場する愛も、劣悪な環境で生きてきた。でも彼女はまだその狂気の中で育ったとは言え、まともな感覚を保って人生を立て直そうとしていたのが分かる。
がしかし、大きな足枷を付けられて人生をスタートしなければいけない愛は、お金を稼ぐ手段が限られている。自立手段が限られているのだ。
一般的に、会社勤めをするなら、身元を証明できるものが必要です。運転免許証、マイナンバーカード、住民票、戸籍謄本などです。
しかし愛にはそれがない。だから多くの人が通る明るい道を通れない。薄暗い裏路地を歩いていくしかないのだ。
そんな愛がお金を得る手段は、身体を売ってお金を得るしかないのだ。お金を得るためには、住むところと仕事が要る。物語中でも、彼女には風俗店から住むところと仕事が与えられている。
しかし、ココで行き止まりだ。その先は無い。なぜなら無戸籍だからだ。延々と身体を売ってお金を得てその日暮らしをするか、精神をダメにするかしかないのかもしれない。
しかし今の日本なら、無戸籍者だけで家庭裁判所に申し立てをすれば、戸籍を作ることができる。
ただ手続きが複雑らしく専門家や弁護士のサポートはあった方がいいが、戸籍は作れるのでココは私達も知っておいた方が良いはずだ。
話を戻すが、この物語を聴いて改めて思うことは、生育環境の重要性だということ。
どんなに優秀な遺伝子を持って生まれても、生まれ育つ生育環境が劣悪だと、その才能を上手く開花させることなく散っていく。
それだけ環境とは私達が想像している以上に大切なのだ。しかし現実はどうだろうか。
児童相談所のへ通報は2020年から20万件を超えている。昔とくらべて通報制度や社会の常識が変わったので、その件数は増えたところはあります。
が、確実に虐待を受けて育っている子供の数も増えている事実。この物語でもう1つ伝えたいことは何か考察すると、こういった無戸籍者が生きている過酷な生育環境だけでなく、固定化されつつある社会の身分ではないだろうか?
人間皆平等ではなく、むしろ恐ろしいまでの不平等、残酷そんな社会なのだ。それを伝えたいのではないだろうか。
実際に、社会でハイクラスな生き方をしている人の多くが、やはり親から与えれる豊かさを幼少期から受けていることは多々ある。と言うか、その方が圧倒的に多い。
その点1つみても、やはり残酷な現実なのだ。
愛が何か悪いことはしたから無戸籍者となったのだろうか?愛が悪だから虐待を受けたのだろうか?
そんなことは全くない。ただ生れ落ちたところ、そして生育環境が劣悪だったのだ。つまり運が悪かったとしか言いようがない。
そう考えると、この世はすべて生まれ落ちた時点で、ある程度のどんな人生になるか分かってしまうのかもしれない。
そんな愛が裏通りから大通りへと進めるチャンスがあった。それが茉奈が東日本大震災の津波にさらわれていく瞬間だ。
愛はあの瞬間、茉奈の手を掴むかバッグを掴むか記憶が定かではない。たぶん、愛自身も永遠に分からないかもしれない。しかし確かなのは、あの津波で真奈は居なくなったことだ。
愛としては明るい道へと生きていけるチャンスが開いたのだ。
その後、茉奈として生きていく。彼女は悪だろうか?彼女を否定できるだろうか?
こういった社会問題の裏の裏に潜む構造も、ミステリー小説の中にぶち込んで読者に問いかけている、そう考察しました。
単にミステリーとして愉しむのもよし、無戸籍問題を考えるのもよし、そのさらの裏に隠れている人間社会の残酷な構造にも目を向けるのもよし。
そんな作品だと私は思っています。
読者のコメント
『単純なミステリーだと思っていたけど、読み進めると深い人間ドラマだった!』
『登場人物の心理描写が秀逸!』
『話が複雑すぎて理解が追いつかなかった。』
など、色々なコメントがありました。
私の感想は、物語のテンポも良く、世界に引き込まていく感じが好きだった。そして最後に頭の中でパズルのピースを組み合わせていく爽快感。聴了後、考えさせられる社会課題。
エンタメとしても面白いし、知的好奇心を満たすのにも良かった、それが率直なコメントです。
まとめ
予想外の展開と、テンポの良さで飽きることなくラストまでいけました。そして登場人物の心理描写もよく、自分の経験、価値観と重ね合わせ感情移入もしてしまう。
桜井氏の他の作品をまだ読んでいませんが、これを機にぜひ読んでみたい!その入り口としてこの一冊は最高でした。
フィクションと社会課題の融合、過去と現在を行き来する人間ドラマ、予想を裏切る展開と伏線回収、そして共感と疲労感を伴う読後感。
おススメできる一冊なのは間違いないので、ぜひ手に取って聴いて(読んで)欲しい。