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恩讐の鎮魂曲(レクイエム)|中山七里、ラスト一文の考察、ネタバレ解説

恩讐の鎮魂曲

Audible版、恩讐の鎮魂曲はこちらから。サンプルあり。

ネタバレしていますので注意してください。

🚢セウォル号を想起させる冒頭

物語の導入部、ブルーオーシャン号が沈没するシーンから始まります。これを聴いた瞬間、ピンッ!と来るものがありました。それはセウォル号沈没事件です。

韓国船、船長と船員が真っ先に逃げ出し、乗客、捜索作業員、合わせて300名以上の死者を出した。

今回の物語では、このセウォル号事件を想起させるようなところから悲劇が起こります。さらに今回の恩讐の鎮魂曲には、特別養護老人ホーム内での虐待という要素もぶち込んできています。

この物語は、実際に起きた事件をモチーフにしたように感じています。

🔢御子柴礼二シリーズの順番

まさ
まさ

出版日ごとに並べています。この順番通りに読んでいくと、より物語が愉しめます。

贖罪の奏鳴曲(ソナタ)(1作目、2011年10月)

追憶の夜想曲(ノクターン)(2作目、2013年9月)

恩讐の鎮魂曲(レクイエム)(3作目、2015年9月)←今回はこれ。

悪徳の輪舞曲(ロンド)(4作目、2017年10月)

復讐の協奏曲(コンチェルト)(5作目、2019年10月)

殺戮の狂詩曲(ラプソディ)(6作目、2023年6月)

🎹モーツァルトの鎮魂曲

この曲ですが、全体で50分以上の長さがあります。冒頭から陰鬱な曲調で、後悔、悲しみ、怒り、絶望、そして赦し。私はそういったイメージを持ちました。

この曲を作ったモーツァルトは、自身が人生の晩年期に入っていました。そんな中で、オーストリア貴族のフランツ・フォン・ヴァルゼッグ=シュタッパッハ伯爵が、亡くなった妻の追悼として毎年演奏されるためのレクイエム(鎮魂曲)を依頼したとか。

この曲を小笠原栄は、何時間も毎日、毎日聴き続けたんですね。彼女の心の奥底はどんな色だったのでしょうか。

孫娘を殺され、それが原因で実の娘も心を蝕まれ子宮がんで亡くなった。家族が破壊され世間からいわれの無い誹謗中傷を浴び、小笠原自身も破壊されていった。

彼女の心はどんな色だったのだろうか。どんな心の形に変わっていたのだろうか。

想像すると、ただただ悲しい。なぜにこんなに人生は理不尽なのかと思うほど、悲しい。

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⚜️稲見と小笠原の鎮魂と贖罪

稲見は無き息子が命がけで救った後藤を守るために、小笠原は家族を破壊された復讐のために、栃野を殺害した。

私は想像しました。

もし仮に自分の子供が殺されたら、もし稲見、小笠原の立場になったら、どんな気持ちか、何を考えるか、どう行動するかを。

失うモノのない自分、自分の終着駅がハッキリと見えた自分、亡くなった者を思い出し怒りに震える自分、言うことを聞かない体。

そんな状態の前に、自分を不幸にした、不幸にする人物がいる。きっと、私も稲見と同じように相手を殺すだろうと思う。

相手を殺しても大切な人は戻ってこないと分かっていても、それでも殺すだろうなと。

それが大切な人への鎮魂になると信じて。しかし何事も欲しいものを手に入れるためには、代償を払わなければいけない。特に罪を犯すとなると、それ相応の代償を払わなければいけない。

稲見は刑罰を受けるという代償を払う。一方、小笠原はどうだろうか。彼女は稲見を利用して、自身の復讐を成し遂げたと思っている。

実際そうなり、稲見だけが刑罰を受けることになる。しかし、彼女はニンマリ笑顔で幸せに余生を生きられるだろうか?

当然ありえない。彼女は復讐を成し遂げる前から壊れていた。資産家のもとに生まれ経済的にも、精神的にも豊かな環境で生きてきたのは推測できます。

しかし、その内面はあの事件から荒廃していた。それはモーツアルトのレクイエムを聴く日々から推測できます。

きっと彼女は、ずっと自分で自分を苦しめる日々が待っているはずです。刑罰は与えられないが、それ以上の苦しみを、自分が与え続けるのです。

家族は戻ってこない、利用した稲見もいない、施設で過ごしていたあの人たちもいない、誰もいない。彼女はずっと独りぼっちです。あの事件から、判決後もずっと独りぼっちです。

その苦しみと悲しみは、休みなく絶え間なく、彼女が彼女と認識できる間は、ずっと与え続けられます。

それが彼女が選んだ贖罪です。意識的か無意識かは分からないが、彼女はその道を選んだのです。

そして御子柴は小笠原にこう言っています。

法律で裁かれる方がよっぽど幸せなんですよ

過去に重罪を犯した御子柴だから重みが増す発言だし、その真意は本質をついていると考察します。

📝最後は倫子が全部持っていった

この物語は、救いがなかったです。色々な意味で。

御子柴がどれだけ熱を入れた弁論を展開しようが、稲見は徹頭徹尾、罰を受けたいと言っている。そして御子柴の努力の甲斐なく実刑が下される。虐待を受けていた入所者たちも、その後、どうなるのか分からない。

認知症があるとは言え、虐待を受け続けたいた心の傷は大なり小なりあるだろう。

もちろん小笠原の苦痛は死ぬまで続く。

そんな陰鬱になる物語の最後の最後に、倫子が登場してきた。彼女からの1通の手紙。それですべて救われた。

8歳になっていた倫子の拙い手紙だが、彼女の純粋無垢な気持ちは、私だけでなく御子柴の沈んだ心も貫いた。

きっと御子柴はあの数行の手紙に救われたに違いない。

父親以上に父親だった稲見を救えず、殉教者のように散っていく稲見の心が理解できない。

そして小笠原を罪では問えず、法の限界と無力さをより痛感した。

何のために弁護士になったのか。大切な人も救えず、今後何を拠り所にして何を人生の羅針盤にしていけばいいのか分からなくなった。

悔しさ、無念、絶望、自暴自棄、そういった感情と伴に悪が御子柴に忍び寄ってきた。

が、しかしそれを救ったのが倫子だった。理路整然とした弁より証拠よりも、8歳の少女の透き通った想いが、御子柴の心を社会の内側に繋ぎ止めてくれたのだろうと。

それが最後の一文によく表れていると考察しました。

そしてこの結末に読者を導いた、作者のプロットの展開に脱帽して脱帽して脱帽した。

↓『爆弾』でも、魂の形という表現が出てきます。おすすめな作品なのでぜひ合わせて聴いてみてね!

この記事を書いた人
まさ

小説の構造・結末・テーマを徹底考察。
「ただ読むだけ、聴くだけでは終わらせない」
考察の過程で、作品に込められた意図や、物語の裏にある仕掛けを読み解くのが醍醐味。
特にミステリー好きな方に、新たな視点を提供できれば嬉しいです!

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