ネタバレしているので注意してください。
🔢御子柴礼二シリーズの順番

出版日ごとに並べています。この順番通りに読んでいくと、より物語が愉しめます。
贖罪の奏鳴曲(ソナタ)(1作目、2011年10月)
追憶の夜想曲(ノクターン)(2作目、2013年9月)
恩讐の鎮魂曲(レクイエム)(3作目、2015年9月)
悪徳の輪舞曲(ロンド)(4作目、2017年10月)
復讐の協奏曲(コンチェルト)(5作目、2019年10月)
殺戮の狂詩曲(ラプソディ)(6作目、2023年6月)←今回はこれ。
🕮あらすじ
物語は、高級老人ホーム「幸朗園」で発生した大量殺人事件から始まる。入居者9人が次々と惨殺され、犯人として逮捕されたのは介護士、忍野忠泰(44歳・独身)。彼は「生産性のない上級国民を排除する」という思想に基づき犯行を行ったと供述。
忍野は精神鑑定でも異常なしと判断され、刑法第39条(心神喪失者の行為は罰しない)を争う姿勢すら見せない。
そして、この事件の弁護を引き受けたのが、悪評高い弁護士・御子柴礼司。彼は14歳の頃に幼女殺害事件を起こし、「死体配達人」と呼ばれた過去を持つ人物でありながら、現在は巧みな法廷戦術で数々の事件を手掛ける弁護士。
彼は国選弁護人として名乗り出るが、それにより得られる報酬は少なく、世間からのバッシングも避けられない。なぜ彼は忍野の弁護を引き受けたのか?極刑が確実視される状況の中で、御子柴は彼をどう救うのか?
そして忍野の隠された真実と何か?
🎶狂詩曲とはどんな曲なの?
狂詩曲(ラプソディ)は、自由な形式で作曲される音楽ジャンルの一つです。民族的または叙事的な内容を表現することが多く、形式に縛られず、異なる曲調をつなぎ合わせたり、既存のメロディを引用したりする特徴があります。
- 自由な構成: 狂詩曲は型にはまらない構造で、即興性や自由奔放さが強調されます。
- 感情の変化: 明暗や緩急、喜びと悲しみなど、幅広い感情を音楽で描き出します。
- 民族的要素: 民族音楽や民謡がしばしば取り入れられ、その国や地域の特色を反映しています。
🧐殺戮の狂詩曲とは!?
殺戮とは、多くの人間を残忍な方法で殺すことです。そして狂詩曲には叙事的、つまり事実、事件をありのままに伝えること、主観を排除する、そういった意味があります。
つまり、殺戮の狂詩曲とは、多くの人間の残忍な方法で殺した事実をありのままに伝える、そういった意味になります。
この物語は、忍野による犯行、そしてその後をありのまま見せられていくことになります。彼の主張、そして御子柴の思惑と贖罪。
死刑不可避の事件の終着地点で待っているものは何のか!?
🚀忍野の思想の源泉は何か?
彼は無意識に操られていた、その結果あの殺戮を実行するというオチなのですが、それ以上に気になることが、なぜそんなに簡単に操られてしまったのか!?ということです。
秩序立った社会の中では、ほとんどの人間が殺人など犯しません。犯すのは超少数の人間です。この物語の忍野はその超少数の中でも、群を抜いて異質です。
しかも、殺す人間に対して殺意が無い。では忍野はなぜ殺人を犯したのか!?
それを一言で言い表すなら、バカだからです。彼は恐ろしいほど真面目で正直な人物なのでしょう。介護という仕事でストレスが溜まっても、現場でそれを口にすることなく、ネット上でそれを発散していた。
それ自体、別に異常なことでもない。むしろ大人しく従順だと言われる日本人の見本のような人物です。
しかし、私たちと忍野の分けた決定的な違いはなにか?
それはイエス・キリストになりたかった、ということではないでしょうか。もちろん例えですが、それを想起させるこんな一文が物語で書かれています。
一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶ。
新約聖書『ヨハネによる福音書』12章24節
つまり、保身、現状維持だとそれだけだが、自己犠牲を通じて新しい命、そして救いが多くの人にもたらされる、そういった意味です。
しかし、忍野はバカだから自分の頭で考えられない。考えているつもりが、他人に上手く操られていることに気付けない。だから自己犠牲と自分の存在価値を同じ土俵に上げてしまった。
自分がやった殺戮が社会の為になり、それは自分の存在意義を強くするものだ、と考えるようになったのではないか。
だから忍野は逮捕後、自分の正当性、社会正義を書き連ねた手紙を裁判官へ送ろうとしたのです。死刑なんて嫌だ、なぜなら社会の為に生産性の無い人間を殺したのだから罰せられるわけがない。
ええ、全くもって救いようの無いバカです。
バカですが、忍野は社会の犠牲者だとも言える。老人の糞便に塗れ、暴力、暴言にも耐え、介護の仕事していたが、忍野の福利厚生、待遇は良くないように感じた。
そこで彼が歪んだ精神になっても、何ら不思議ではない。
彼は『先生』に操られる前から、もう既にその心の中は屈折していたのだと感じる。超高齢化社会の中で発生する様々な問題。
老老介護、8050問題、少子化問題、人口減少、労働者不足、東京一極集中、貧困者の増大、孤独死、様々な問題を突き詰めていくと全て少子高齢化社会にブチあたる。
そんな社会の中で増大する高齢者の世話を誰がするのか!?
忍野たちのような介護士ではないか。その介護士たちを酷使し消耗させ、正当な立場や待遇を与えない社会、そういった問題も今回の物語では垣間見えた。
だからと言って、忍野が行った行為が正当化されるわけではない。そこで御子柴礼二の登場だ。
人間として罰を与える
9人を惨殺し無罪は到底無理。良いところ心神喪失くらいで医療施設に収容くらいしかないが、忍野の精神状からしたら、さすがにそれも無理筋。
だから罰を与えるしかない、人間に戻してしっかり償わせるしかない。
それは、御子柴にしかできないことだ。
かつて死体配達人として、獣として幼女を殺めた過去をもつ彼にしかできないことだ。