
Audible版、存在のすべてをはこちらから。サンプルあり。
*ネタバレをしていますので注意してください。
🧑🏫作品概要と著者紹介
『存在のすべてを』は2023年9月、著者、塩田武士氏、朝日新聞出版から出版された作品です。
2024年本屋大賞にノミネートされ第3位に選ばれ、さらに第9回渡辺淳一文学賞も受賞しています。
この作品は、平成3年(1991年)に神奈川県で起きた二児同時誘拐事件を題材にし、事件から30年後、被害者の一人だった男児の存在をキッカケに、事件の真相を追う物語です。
この物語は、複数の人物の視点から進んでいき、誘拐事件の犯人捜しだけでなく、写実画家の閉鎖的な世界、家族とはなにか、登場人物の心情などそういった人間ドラマとしてのテーマも兼ね合わせています。
複数の人物の人生が重ね合わさることで、この物語に深みと味わい、そして言葉で表現できないようなラストが待っているのです。
✨登場人物
この物語の主要人物は下の通りです。
門田次郎
54歳の大日新聞支局長。30年前の二児同時誘拐事件を当時新人記者として取材し、現在再び事件の真相を追う。ジャーナリストとしての使命感と葛藤を抱えている
内藤亮
誘拐事件の被害者の一人。現在は如月脩という名前で新進気鋭の写実画家として活躍している
土屋里穂
34歳。亮の高校時代の同級生で、画商の娘。父の画廊を手伝っている。亮に対して特別な思いを抱いている
中澤洋一
誘拐事件を担当した刑事。門田と親交があり、死後も事件の真相を追い続けていた
内藤瞳
亮の実母。育児に無関心だったとされる
木島茂・塔子
亮の祖父母。健康食品会社を経営している
野本貴彦
写実画家。亮と深い関わりがある
岸朔之介
画商。画廊「立花」の創業者
優美
野本貴彦の妻。
📖過去と現在が交差する物語
この物語の主な視点は、元新聞記者の門田です。事件から30年経過し年齢を重ねたこの人物と、彼を取り巻く人物達との関係が、物語の核心を形作っています。
特に被害者だった男児の現在の人生が、事件によってどう変わっていったのか?その描写がとても繊細に描かれ、読者の心に強く響いています。
事件発生当時、1991年、そこから30年後の現在。その時の流れが登場人物達に与えた影響、そして薄れていく記憶。
門田はその時間を遡り、曖昧になっていく各登場人物の記憶のピースを組み合わせていくことで、あの日、あの時、あの時代に何が起きたのか?それが少しずつ明らかになっていくのです。
✅亮が過ごした空白の3年間を考察
亮と過ごした3年間。各地を転々とし不安と恐怖に苛まれる過ごした時間。たとえ血の繋がりはなくとも、実の親子以上の繋がりがあったのだと感じました。
もし兄、雅彦に見つかれば、もし警察に見つかれば、亮が実の母親の元へ戻される。そうなると亮はまた劣悪な生育環境で生きていかなければならなかった。
だから野本夫妻は、亮の幸せを第一に神経をすり減らして生活していたはずだ。
しかし、亮には健康保険証がない。だから亮が体調を崩しても病院にも連れていけず、目の前で我が子のように可愛がっている亮をみると、身が引きちぎられる想いだっただろう。
野本夫妻はこう思ったのではないだろうか。私が変わってやりたい、代わりに私を苦しめて欲しい、そう願ったに違いない。
しかも時は止まってくれない。亮は成長する。未就学児の場合なら、ごまかしは出来る。しかし。小学校へ通う年齢となると、もうごまかしは出来ない。
それは野本夫妻は互いに口に出さずとも、ずっと前から分かっていたはずだ。亮と暮らし始めて、いつかこの生活に破綻が来ることは、大人ならわかる。
それでも、彼らは実の母親の元へ帰すことは出来なかった。画家として煌めく才能をもった亮、一緒に暮らし愛情を注ぎ続けている亮、その彼と別れることはできなかったのだろう。
だからこそ、あの誘拐事件から3年後、野本夫婦のもとから木島茂、塔子の祖父母のもとへ帰っていくシーンが読者からすると強烈に辛いのだ。
我が子のように可愛がり、彼らの存在すべてをかけて守ってきた亮が去っていく描写。
小さな腕をクロスさせて『バイバイ』をするシーン。あのシーンに涙してしまった。著者に完敗だ。卑怯なくらいに人間の内面に迫ってくる描写が辛かった。
人物達の背景を繊細かつ鋭く描かれているので、余計にでも涙がとまらない。 愛情なんて耳障りのよい言葉では表現できない、何層にも重なった複雑な感情が噴き出した瞬間でした。
しかし、野本の兄、野本雅彦はひどい男だ。場当たり的というか、快楽的というか、理性や自制心がまるで感じられない男として人物設定されている。
この男のせいで、弟の野本貴彦は最後に失踪をせざるを得なくなってしまった。彼の存在に幕を下ろさないといつまでも兄が金の無心に訪れ、妻の優美をさらに精神的に追い込んでいくことになる。
そして切りがないのだ。だから彼は失踪せざるを得なかった。きっと悔しく悲しかっただろう。亮に遠くからでも一目会いたいと思っただろう。しかし、それすら叶わないことだった。
彼は絵を描くことしか出来ない人間だ。だから優美と離れ、生計を立てていくことは極めて難しいだろうと思う。それに、彼が絵を描いて生計を立てていると分かると、また兄、野本雅彦が金の無心に来るだろう。
仮に貴彦にパトロンが出来たとしても、今度はそのパトロンが貴彦の標的にされてしまう。やはり切りがない。そう考えると野本貴彦が生きている可能性は限りなく低い。
生きていたとしても画家としての貴彦ではなく、ゾンビのような人間になっているはずだ。
しかし、野本貴彦は胸を張れたはずだと信じたい。それが内藤亮を今世に残すことが出来たことだ。彼の才能を余すことなく引き出したのは貴彦だ。画家としての才能があった亮、その彼の才能を神がかり的なモノに昇華させ写実画家としての礎にしたのはやはり野本貴彦だ。
そして亮の心に愛情を注ぎ続け、社会性を持たせたのは優美だった。
野本夫妻がいなかったら、亮は単に絵が上手い男として生きるしかなかったのではないだろうか。周囲が息を呑むほどの才能を開花させることは、ほぼ不可能だったのではないだろうか。足り無さすぎる母親のもとに生れ落ち、劣悪な生育環境で生き抜いていた。
その背景を考えると、野本夫妻のもとで暮らした三年は、亮という人間が生き残っていくための礎になったのだろう。
そして中学生になった亮は、初めて画廊六花を訪れた。そこで貴彦が描いてきた数々の絵を見て圧倒される。そしてあの500号の未完成のキャンパスについに出会うことになる。
そのキャンパスの前で涙し、『父と母に会いたい』という亮にまた胸にせり上がってくるものがあった。そして亮は後にその未完の大作を引き継いでいくことになる。
それは亮にしか描けない作品で、彼はきっとその絵を描きながら父と母と過ごしたあの3年を、あの瞬間を思い出しているのだろうと思うとまた瞼が濡れてしまった。
😖最後の最後まで泣かせる物語
ラストで亮は育ての母である野本優美と再会することができていた。その経緯は描かれていないが、亮は母と再会できていた。
亮が世界で一番会いたかった女性、野本優美、そして亮に一番会いたかった女性、土屋里穂。彼女たちがあの野本貴彦が遺した未完の大作と伴に亮と再会できたのだ。
この物語に登場してきた存在のすべて、どれか1つでも欠けてしまえば、あの未完の大作は作られなかったように、1人1人、1つ1つ、それらすべてが積み重なり、織りあわなければこの物語も作られなかった。
門田がこの事件に興味を持たなければ、過去に何があったか知ろうと行動を起こさなければ、その瞬間は形作られることはなかった。
それは私達の目の前にある、今この瞬間とも同じだと思った。
存在のすべてが過去から未来へと向かってきた結果、今、この瞬間、目の前に表れているのだと。
🗣️読者の感想
事件の真相だけでなく、人間の心の奥底にある思いにも触れることができ、心を揺さぶられた。
30年という時間の重み、それでも変わらない人間の本質について考えさせられました。
こういった感想からわかるように、この物語は読んだ人の心に、深く強く響くテーマを扱っているのです。誘拐事件という目に見えるテーマ、非日常的な出来事を通じて、人間の存在、社会の存在について、考えさせられる作品になっています。
そしてこの物語を読み終えた後、きっとあなたは形容し難い余韻に浸ることは間違いありません。登場人物たちの人生の軌跡に、私達の価値観を重ね合わせ『正しさとは、家族とは、愛とは』そういった問いかけが沸き上がってくるはずです。
💯人間の本質を問う傑作
この作品は、事件という非日常的な出来事を通して、人間の本質と社会の在り方を問う傑作です。
30年という時間の流れの中で、人々の思いがどのように変化していったのかを丁寧に描き出しています。この本を読んだ後、あなたは必ず何かを得ることができるはずです。それは、人間の複雑さへの理解かもしれませんし、偏見、正義、悪に対する新たな視点かもしれません。
ひょっとしたら、自分自身の価値観を見つめ直す機会になるかもしれません。『存在のすべてを』は、単なるミステリー小説を超えた、人間と社会の在り方を深く考えさせる一冊です。
ぜひ手に取って、新たな発見と深い感動を体験して欲しい。