ネタバレしていますので注意してください。
⁉️文に隠された事実
文は成長しきれない病気を抱えている。一般的に第二次成長期を経て、男なら喉仏が出て声が低くなり、体毛が濃くなる。
男性ホルモンも活発になり、性的衝動も強くなり異性に興味を持つ男も増えてくる。個人差はあるが、だいたい中学2年頃からそういった兆候は強くなる。がしかし、文は違った。
身体が成長していかないのだ。だから心も成長していかない。心と体は常にセットなのだ。だから文は成長できない自分のことを失敗作だったと考えていた。当然こういった思考プロセスになるのにも理由がある。
文の母親は厳格でルールを重んじる人物だった。そしてその母がトネリコの苗を植え育て失敗した描写がある。
『苗が悪かった、だから新しいものを買ってこよう』と。文はきっと成長しきれない自分とトネリコを重ね合わせ、そして失敗作だと思い込むようになったのだ。
それくらいのことで、と思う人がいるかもしれないが、思春期の頃は多感な時期でもある。周囲が性に目覚めていく中で、自分だけがまったくその兆候がない、変わらない、いつまでもずっと。
想像すると怖くないだろうか?同年代の異性に興味を持ったり、体つきが男らしくなったり、そういった周囲の男友達をみて、変われない自分自身に怖くなるのは容易に想像はできる。
さらに文が育った生育環境にも原因はあった。厳格で高潔な母、そして育児書通りの子育てをする母、そういった環境で育った文は、まるで自分がトネリコのような植物として育てられている錯覚に陥ったのかもしれない。
育児書にある普通は普通ではないのである。人間の遺伝子はみな違い、思考や行動パターンはみな違うのである。なのに文の母親は育児書にある普通を厳格に守る人物だった。
これが子供に与える影響は強烈で残酷だ。
そこに文の病気が混ぜ合わさり、文は普通という路線を降りざるを得なかったのだ。
実は文の視点単体だけでみると、彼は事件を起こす前に既に不遇な環境、条件で生きていた。そこに加えて小児性愛者のレッテルを世間に貼られてしまった。
確かに文は小児性愛者だったのだろう。しかしそれは性的に興奮するといった性癖ではなく、自分と同じ成長しきれない部分を持つ、そこに共感している小児性愛者だったと私はそう考察します。
文は悪だったのだろうか?いや、違う。文の視点だけみるとそう言い切れない。しかし他人、世間はそう見てくれない。見たい現実、信じたい情報しか受け入れないものである。
🤔なぜ文は更紗と一緒に居られるのか?
更紗は自由奔放な母親に育てられた過去があります。それは文の母とは180度違う子育てです。寝そべってピザを食べたり、晩御飯にアイスを食べたり、文とはまるで違うルールで生きていた更紗に、驚きと衝撃を受けたはず。
次にあの事件で逮捕される前まで、更紗と文は同じ時間を過ごしていた。文は自分と同じように成長しきっていない更紗に、安心、共感、そういった感情を持っていたはず。
そして逮捕後、2人は世間から『加害者』、『被害者』と別けられ、長い時間苦しめられて生きたこと。
こういった様々な時間を共有した人間同士が、離れがたく結びついてしまうのは容易に想像できる。記憶、経験というのは色褪せることなく、いつまでも人の脳内に巣くう魔物でもあります。
だから2人は互いのことを忘れられない。そして誰も彼ら2人が過ごしたきた過去を理解できない。男と女の関係ではなく、戦友、同志、そういった存在なのです。だから文も更紗と一緒に居られると考察しました。
ちなみに、トネリコには花言葉があって、『偉大』、『威厳』、こういった意味があります。しかし、この意味とはまるで逆の人間として育ってしまった文。
その対比がまた文のキャラクターを際立たせていると思っている。
📖物語の概要と著者紹介
『流浪の月』は、凪良ゆう著の小説で、2019年に東京創元社から出版されました。
この作品は2020年本屋大賞を受賞し、その後映画化もされた話題作です。著者の凪良ゆう氏は、もともとBL小説作家として活躍していましたが、この作品で一般文芸作品に進出し、大きな成功を収めました。
この作品は、一見すると誘拐事件の加害者と被害者の関係を描いた物語のように見えますが、実際には社会の偏見や固定観念、そして真実と事実の間には大きな溝がある、それを物語の中心に据えています。
💡主要登場人物
家内更紗(かない さらさ)
本作の主人公
10歳の時に「誘拐事件」の被害者となる
24歳で文と再会し、複雑な感情に揺れ動く
佐伯文(さえき あや)
更紗を「誘拐」したとされる青年
更紗との2ヶ月間の共同生活後、逮捕される
中瀬亮(なかせ りょう)
更紗の婚約者
更紗の過去を知らない
谷あゆみ(たに あゆみ)
文の恋人
文の過去を知らない
更紗の伯母
父を亡くし、母が消えた後の更紗を引き取り、窮屈な規則で育てる
伯母の息子、孝弘(たかひろ)
更紗の従弟で、更紗を虐待する
🚀あらすじ
更紗の両親は、とても自由奔放で、世間の常識にとらわれない生活を送っていました。父親は、家族を深く愛し優しい性格の持ち主で、母親のマイペースな性格を受け入れ、家族の自由な生活スタイルを支える、そんな父でした。
特に母親は自由奔放な性格で、周囲からは「やばい人」と言われるほど、世間の常識から外れた人でもありました。
そんな両親の元で育てられていた更紗の運命が変わってしまったのは、父親の死です。病気で他界した後、母親も男を作り蒸発します。家に残された当時10歳の更紗は、当然一人では生きていけない。
更紗の伯母の家に引き取られた後、実の両親とはまるで違う家庭環境の中で生きていくことになる。
ある雨が降る日、公園で傘もささずに本を読んでいた10歳の更紗。その公園によく来ていた青年・文は、彼女に傘を差し出します。
家に帰りたくないという更紗を文は自宅に招き入れ、そこから2ヶ月間、二人は穏やかな日々を過ごします。しかし文は少女誘拐犯として逮捕され、15年の時間が流れていきます。
24歳になった更紗は偶然、文と再会。二人の間には、世間には理解されない特別な絆が出来ていました。しかし世間は彼らを「加害者」と「被害者」というレッテルを貼り付けます。二人は真実を胸に秘めながら、周囲の偏見や自身の葛藤と向き合っていく。
抗いようがない世間の偏見、そして二人しか分からないあの日の真実。更紗と文の未来は、、、。
💯瞬間が伝わってくる比喩表現
比喩表現は読者の心に鮮やかなイメージを描き出す力を持っています。
特に、ある瞬間の様子や感覚を生き生きと伝える比喩は、読者を物語の世界に引き込む重要な役割を果たします。
例えば、「バネ人形のように飛び起きた」という表現は、突然の目覚めの瞬間を絶妙に表現しています。きっと読者の脳裏に、ぴょんと跳ね上がる人形の姿が浮かび、その動作の素早さや唐突さが瞬時に伝わってきます。
それ以外にも、「細く痩せきった月が、今にも落ちそうな角度で夜に引っかかっている」という描写は、夜空の一瞬の風景を切り取っています。細い月の姿と、その不安定な様子が絶妙に表現され、読者はその瞬間の空を見上げているかのような感覚に陥ります。
こういった比喩表現は単純な状況説明を超えて、その瞬間の雰囲気や登場人物の心情までも同時に伝えてくれます。それは、まるで時間が止まったかのような一瞬を、読者の心に鮮明に焼き付けるものです。
その描写の一つ一つが、この物語の世界観を彩り濃く深くしていると思っています。
🗣️ネット上の感想
「社会の偏見や固定観念について深く考えさせられた」
「更紗と文の関係性が、恋愛でも友情でもない、言葉では表現しきれない特別なものだと感じた」
こういった感想がありました。
確かに、一度ついたその人間のイメージを覆すのは、ほぼ無理だと言っていいと思います。それだけ世間というのはいい加減で、残酷なのだと私は思っています。
それが社会に衝撃を与える事件だとしたら、尚更でしょう。これはフィクションだけど実社会でもこういったことって多々ある。
自分の体験ではない第三者の話だけで勝手に相手を作り上げ、そしてイメージを増大させ決めつける。
そういった偏見からスタートした結果は、大体よくはない。
❓さまよう『月』の意味は
タイトルにも使われている『月』は、物語において大切な意味を持っています。月は見る角度、そして見る日、時間によって姿を変える天体です。これは、「事実」と「真実」の関係性を表しているのはないでしょうか。
同じ出来事でも、見る人の立場や視点によって全く違って見える真実。その「真実」の見え方を、月の満ち欠けになぞらえて描かれていると思っています。そして事実は一つしかない。月がいくら変化しようとも、月という天体は一つしかないのです。
そして月の光は柔らかく、しかし確かに闇を照らします。これは更紗と文の関係性を象徴しているようにも感じられます。世間の偏見という闇の中で、2人の絆は月明かりのように柔らかく、しかし確かに存在し続けるのです。
🟢物語の本質は何なんだろう
偏見、純愛、真実の曖昧さ、色々考えてみても、どれもしっくりこない。表面的にはそれで間違っていないと思う。でも、たぶんだけど本質は人間の愚かさというか弱さみたいなものじゃないだろうか。
人間は一人では生きていけず、集団の中でしか、社会の中でしか生きていけない、他人と繋がりを持って淋しさを紛らわしながら生きていくしかない、そんな弱い生き物。
そんな弱い生き物の集まり、特に日本社会では、同調圧力が他の国よりも強く、異質な物質を排除しようとする傾向がある。なぜなら、怖いから。自分達と違う物質は怖いので排除しようとする。
この物語の本質は、異質なものたちを排除しようとする、人間の本能、弱さからくる残虐性みたいなものがあるのではないだろうか。
その本質の表面に偏見、純愛、そういったものが浮き出てきている、私はそう思ってしまった。個人的な考えではあるけど、あなたはどう思うだろうか。ぜひ手に取って聴いて考えてみてほしい。